すべてのコラージュ作品が生み出された地―東京における公立美術館、初の個展!
岡上淑子のフォトコラージュ作品は、すべて本展開催地である東京で生まれました。1928年、高知県に生まれた岡上淑子は、3歳で家族とともに東京へ移り住みます。東京で成長した岡上は、1945年、終戦を挟み一時高知に疎開していますが、東京での戦争体験は、後に制作された作品に大きな影響力を与えることになります。1950年、当時御茶ノ水にあった文化学院デザイン科に進学した後、岡上は「コラージュ」という技法と出会い、1956年に至るまでの足掛け7年に渡り、後に岡上の代名詞ともなるフォトコラージュ作品を集中的に生み出しました。瀧口修造にその才能を見出され、マックス・エルンストの影響を受けて表現の奥行きを広げていった岡上の作品は、瀧口の企画によるタケミヤ画廊での2度の個展や東京国立近代美術館で開催された記念碑的展覧会「幻想と抽象」にも出品されていますが、1957年の結婚を期に、フォトコラージュ作品の制作から離れ、1967年、生地である高知県へと帰郷することになります。
米国ヒューストン美術館より、貴重なコレクションが里帰り!
2000年に開催された第一生命ギャラリーにおける個展は、作家の代表作となるコラージュを一堂に集めた、今となっては幻の展覧会となりました。現在、岡上淑子の作品は、国内外でコレクションされており、国内では高知県立美術館、東京国立近代美術館、東京都写真美術館、栃木県立美術館の国公立美術館に、海外では米国のヒューストン美術館、ニューヨーク近代美術館、そしてギャラリーや個人コレクションとして所蔵されています。本展開催にあたり、この度海外で最も多くのコレクションを有するヒューストン美術館より12点の貴重なコラージュが、美術館収蔵後初めて日本へ里帰りいたします。
関連資料を多面的な角度から展示
本館2階における関連資料の展示では、慶応義塾大学アートセンターに所蔵されている瀧口コレクションから、瀧口修造から岡上に送られた書簡や岡上の作品が飾られた氏の書斎風景を写した記録写真等を通じて、日本を代表するシュルレアリストと、作家 岡上淑子との繋がりを考察します。また、コラージュの制作から遠ざかった後も、作家は魅力的なドローイングや日本画の制作に取り組んでいます。これらの貴重な資料から、当時の様子や作家の魅力に多面的な角度から迫ります。
百花繚乱の50年代ファッションと岡上淑子のコラージュ作品の結びつき
岡上淑子は、もともと東京で洋裁を学んでいました。時代のモードに敏感に反応していた作家は、国内のファッション雑誌には飽き足らず、ヨーロッパの最先端モードを紹介した米国輸入のグラフ雑誌を作品の素材としました。洋裁のための生地を紙に持ち替えてハサミを駆使した岡上の、憧憬の対象であった当時のファッションは、戦後復興期の中で、あえて生地をふんだんにあしらった、優雅でクラシカルな”ニュールック”の世界でした。彼女のコラージュ作品には、時代の先端をゆくハイファッションのイメージが数多く引用されています。
1950年代のファッションは、戦後復興期のパリにおいてオートクチュールが世界をリードし、最も優雅で華やかな時代でした。ディオール、バレンシアガ、ジバンシーといった一流のデザイナーたちが登場し、モード界は百花繚乱の様相を呈しました。本展では、京都服飾文化研究財団(KCI)のご協力を得て、コラージュ作品のイメージの源泉となった当時のファッションにもスポットを当て、作品が生み出された時代背景の解釈に繋がる、同時代に制作された4点のドレスを参考展示いたします。