調査報告ブログ「正門付近の変遷」
2025年度東京都庭園美術館インターンシップ生による記事です。
日本で急速に美術館の建設が進められた1970から90年代、いわゆる「美術館建設ラッシュ」のさなかである1983(昭和58)年に東京都庭園美術館は開館しました。美術館が新設される際には、新たに建物が建てられることが多いですが、当館は1933(昭和8)年に建てられた旧皇族・朝香宮家の邸宅を美術館に転用しています。2015(平成27)年には、当館の本館・茶室・正門・倉庫・自動車庫が国の重要文化財に指定され、建物の保存と活用がより一層重視されるようになりました。こうした背景から、当館では「美術館講座」「庭園ツアー」「建物ツアー」といった、建物・庭園等の歴史的背景や魅力を伝える活動にも力を入れています





昨年度、インターンシップにおける業務の1つとして、この建物の歴史を学ぶための資料調査や現地調査を行いました。昔の地図や写真などと現在の様子とを照合した結果、美術館の敷地内にはこれまで紡がれてきた歴史を垣間見ることができる要素が散りばめられているだけでなく、現存する資料のみでは読み解くことができない、謎に包まれた要素があることを目の当たりにしました。竣工時の状態が良好に残っている本館のみならず、姿を変えながら継承されている庭園の歴史を知ったことで、庭園美術館で過ごす時間がより充実するようになったと感じています。そこで本ブログでは、旧朝香宮邸一帯の中でも著しい変化が見られた「正門付近」に焦点を当て、その変遷についてご紹介いたします。

前述の通り、庭園美術館の「正門」は国の重要文化財に指定されており、竣工時に近い状態で保存することが試みられています。しかし、竣工時の朝香宮邸一帯の正確な情報を伝える図面(竣工図)は確認されていません。そこで、1933(昭和8)年に撮影された『朝香宮邸竣工写真』や、「仕様書」が収録された『朝香宮邸新築工事録』などの情報を手がかりに、竣工時の様子を確認してみましょう。
はじめに、『朝香宮邸竣工写真』に収録された「1933(昭和8)年の竣工時の正門付近の写真」と、「2026(令和8)年の正門付近の写真」とを比較したいと思います。

『朝香宮邸(写真帳)』正門 宮内庁宮内公文書館蔵

ここでは、門柱・門扉・門塀の見た目が一致している一方で、門塀の配置・植栽・縁石・地面の素材が異なることが見て取れます。大きく変化した箇所は、2つ挙げられます。1つ目は、竣工時の写真左側(西側)の門塀が手前の道路に向かって曲げられているのに対し、現在は道路と並行して横に伸びていることです。そしてもう1つは、竣工時の写真では右側(東側)の門塀が良く見えるのに対し、現在の写真では植栽のみが写っていることです。では、このような変化はいつ起こったのでしょうか。
調査を進めるにあたり、竣工時から現在に至るまでの間に蓄積されてきた、様々な資料を参照してみました。その結果、正門付近の状態が伝わる資料をいくつか発見することができたので、ご紹介いたします。
まずは、1962(昭和37)年4月10日に制作された「迎賓館図面(高速道路入り)」(早稲田大学歴史館所蔵)です。この図面は、同年から1967(昭和42)年にかけて行われた「首都高速道路2号目黒線」の建設に伴って旧所有者によって作成されたもので、旧朝香宮邸の敷地の輪郭が変化したことを示しています。具体的には、正門のほとんどが含まれている土地を売渡す代わりに、それまで三菱信託銀行が所有していた、現在の美術館のレストランが建てられている部分の土地を旧所有者が得たことが表されています。つまり、首都高速道路2号目黒線が建設されたことによって、旧所有者が管理する土地の範囲が変化し、現在と同様の姿になったことが確認できました。
つぎに、国土地理院が公開している空中写真です(下図参照)。このサイトでは、1936から42年頃、1945から50年、1961から69年、1974から78年、1979から83年、1984から86年、1987から90年、2009年、2014年、2017年、2019年の状態が確認できました。1974から78年の間に撮影された写真においては、正門付近(空中写真の右下あたり)が大きく変化していることが示されており、「迎賓館図面(高速道路入り)」に加えて航空写真からも「首都高速道路2号目黒線」の建設に伴う影響が表されています。また、この敷地の輪郭の変化に合わせて、正門西側の門塀(竣工写真左側)が道路に対して並行に配置されたものと思われます。











最後に、Google Earthで閲覧できるストリートビューです。ここでは、2009年12月、2011年9月、2012年3月、2013年6月、2014年7月、2015年6月、2016年2月、2016年7月、2017年10月、2018年10月などにおける東京都庭園美術館付近の状況を確認することができました。
2009年12月の時点では、正門東側の門塀(竣工写真右側)が道路に対して垂直に長く伸びており、そこに展覧会の看板が設置されていたことがわかりました。しかしその2年後の2011年9月には、正門東側の門塀の上部が取り壊されており、残された腰石の周囲が工事現場で見られる安全柵で囲われていました。この状態がしばらく続き、2014年7月になってから正門東側の門塀が完全に姿を消し、現状と一致する道路植栽へと移り変わったことが確認できました。
この期間は、目黒通りの拡張工事が行われた時期と一致します。したがって、2009(平成21)年から2015(平成27)年頃に行われた目黒通りの拡張工事に伴い、正門東側の門塀が撤去されたと考えられます。

ここまで「正門付近の変遷」と題して、正門付近の様子を様々な資料から確認し、以下の2つの疑問について考えてきました。1つは、正門西側の門塀(竣工写真左側)が、いつから道路に対して並行になったのか。もう1つは、正門東側の門塀(竣工写真右側)は、いつ姿を消したのか。調査の結果、前者については1962(昭和37)年から1967(昭和42)年にかけて行われた「首都高速道路2号目黒線」の建設、後者については2009(平成21)年から2015(平成27)年頃にかけて行われた目黒通りの拡張工事による影響を受けて、姿を変えていることがわかりました。このような変化に伴い、どのような工事が行われ、竣工時の材料がどこまで残っているのか、実は現存する資料からは明らかにされていません。調査を進めるほど謎は深まるばかりですが、周辺環境の移り変わりに伴い、形を変えながらも歴史が刻まれたこの土地をお楽しみいただけますと幸いです。
執筆:石原史奈(2025年度東京都庭園美術館インターン)
参考文献
・坂本喜昭、安斉貞雄「東京都庭園美術館:旧朝香宮邸の保存・改修から再生へ」『公共建築』公共建築協会、26巻1号、1984年6月、pp.50-56。
・東京都生活文化局『旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)庭園等および付属建造物群調査報告書』東京都生活文化局(文化振興部)、2010年
・半田滋男「日本型パブリック・アートと美術館の機能に関する考察」『表現学部紀要』和光大学表現学部、13巻、2013年、pp.120-130。
・東京都庭園美術館(編)『旧朝香宮邸物語:東京都庭園美術館はどこから来たのか』アートダイバー、2018年。
・江口佳奈「美術館における美術鑑賞の変化」『早稲田社会科学総合研究 別冊 2022年度学生論文集』早稲田大学社会科学学会、2023年3月、pp.79-87。
・Google Earth「ストリートビュー」https://www.google.co.jp/intl/ja/earth/index.html 2026年3月20日閲覧。
・宮内庁書陵部「宮内公文書館」『書陵部所蔵資料目録・画像公開システム』https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Kobunsho 2026年3月20日閲覧。
・国土交通省「地理院地図」『国土地理院』https://maps.gsi.go.jp/#15/35.636756/139.719279/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1 2026年3月20日閲覧。
・早稲田大学「堤康次郎関係文書」『早稲田大学文化資源データベース』https://archive.waseda.jp/archive/subDB-top.html?arg={%22item_per_page%22:20,%22sortby%22:[%22%22,%22ASC%22],%22view%22:%22display-simple%22,%22subDB_id%22:%2293%22}&lang=jp 2026年3月日閲覧。