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「内藤礼 信の感情」展についての対談内藤礼(アーティスト)×八巻香澄(学芸員)

対談・インタビュー録

VOL.1 内藤 礼(アーティスト) × 八巻香澄(学芸員)
作品もそれだけで存在するのではなく、私の部屋で生まれたひとつの姿が、展覧会という場所で、無数のひとびとのあいだの場所と時間をめぐるもの

text:住吉智恵(アートジャーナリスト) photo:浅田政志

いよいよ2014年11月22日より開催される、東京都庭園美術館リニューアル最初の企画となる「内藤礼 信の感情」展。
日本を代表するアーティスト・内藤礼さんは、1997年に第47回ヴェネチアビエンナーレ日本館の「地上にひとつの場所を」で世界的に注目されて以来、体験した者に深く静かな驚きと歓びをもたらす数々の作品を発表してきた。
さらに2001年の直島での家プロジェクト・きんざ「このことを」、2010年の豊島美術館「母型」といった、パーマネント作品を手がけ、この地上の生を生んだ自然への返礼として手向けられる花のように、静寂でありながら強かな息づかいをもつ作品をつくり続けている。
新館でのペインティングの新作展示のほか、本館でもかつて邸宅であった空間との対話から生まれた展示を構想している内藤さんに、本展担当学芸員の八巻香澄が話を聞いた。

内藤礼"このことを" 2001年 家プロジェクト・きんざ 写真:小熊栄
内藤礼”このことを”
2001年
家プロジェクト・きんざ
写真:小熊栄
内藤礼"このことを" 2001年 家プロジェクト・きんざ 写真:森川昇
内藤礼”このことを”
2001年
家プロジェクト・きんざ
写真:森川昇
内藤礼"母型" 2010年 豊島美術館 建築:西沢立衛 写真:森川昇
内藤礼”母型”
2010年
豊島美術館
建築:西沢立衛
写真:森川昇

八巻(以下Y):新館のオープンと本館(旧朝香宮邸)のリニューアルのこけらおとしの展示を内藤さんにお願いしたのは、この展覧会がどこか地鎮祭のような意味あいを帯びてくるだろうと考えたからです。
まだ何のストーリーも時間の重なりもない新館に生命を吹き込んで、すでに歴史や時間が重層的に存在している本館にも、その新しい何かへと導かれる展示をとお願いしました。

内藤(以下N):今回、私が関わるのは、新館が生まれたての、展示のためのホワイトキューブであるのに対して、本館は個の記憶を持つ特殊な家ですね。
初めての場所に出会う時、私はまず、その場所はよいものである、と考えます。
場所の、あるいは物や世界の本来の姿というのは、そのままでは見えにくくなっているものです。そこに、畏れながら最小限の関わりを持つことで、少しでも本来の姿が立ち現れ、生きるようにと願います。

Y :本館の空間はどのように思われましたか?

N :このようにきらびやかな装飾に彩られた場所は、これまで縁がありませんでしたが、それもまた人が生きてきた場所であることは確かなのです。そこで生き、過ごした人たちを思いました。
いま私が取り組んでいることを胸に、一人で、空っぽになって、感じられるものを一つ残さず捉えようと、何日もそこにいました。
本館と新館をゆっくり巡り、そこに現れようとしているものを感じとろうとしました。
やがてある感情が動きだし、止まらなくなりました。
ここはどういう場所で、私は何をしようとしているのか。
こみ上げる感情によって感じとろうとしました。
その頃から、場所は私にとって少しずつ普遍的で親密なものになっていきました。
いっしょうけんめいに現れようとしているものを、限定したり抑制してしまわないように、形を持たないまま心に漂わせ、誰にもしゃべらずに、そのまま家に帰りました。

Y :「どのように思いましたか?」ってその時も訊きたかったのですが、スポイルしてはいけないと思って、グッとこらえました(笑)展覧会のタイトル「信の感情」には、これまでにない揺るぎない決意を感じました。「信じる」とは、行動につながる能動的な言葉だと思います。静けさのなかで、観客自身も考える体験をする、かなりハードコアな展示になるという気がしています。

N :自分への問いかけや、確かさの積み重ねによって、この言葉を言っていいと思いました。
ある場合に、「見る」ことは「認める」ことでもあり、それはまた、「それはそれであると思う」ことだと思うのです。
「それはそれであると思わないのではない」のです。
私の「見る」働きかけと、対象からの「見る」働きかけが同時にあり、互いに「見られている」と感じたとき、自他の区別がなくなり、強い肯定感に包まれたことがあります。
対面している世界と私は、互いに、同じように、愛の働きかけをしようと待っていたのだと感じたのです。
湧き出るように、目の前に現れようとしているひそやかで不確かなものは、もしかするといま私に向けられたのではないか、私はそれを受けとったのではないかと感じたとき、受けとっているものの他にも何か欲しいと思うでしょうか。
私は思わない。
やって来るのはいつもむこうからです。私はいつも受けるがわで、私にできるのは、受けとっています、とお礼をつたえることくらいです。だから何度でも何度でも、私は見ています、 受けとっていますとつたえます。
光も色彩も形も眼差しも、花々も木の輝きも鳥の声も、そしてこの感情も、命も、どこからかやって来る。
「信の感情」は、美術館で一人で過ごしていたとき、ふと浮かんだ言葉です。

Y : 先ほど本館で内藤さんの姿を撮影していたとき、ふと内藤さんの身体からなにかが抜け出して、動き始めたような感じがあって、空間そのものが変わったように感じたんです。 窓から射し込む光や緑のゆらぎが目に入ってきて、それがまるで自分に向けられるように感じる。それはとても人間的な感覚だと思えました。

N :もしかしたら、それは生身の私というより、あの場所とつながりはじめた私だったのかもしれませんね。
眼に映るこの世界や芸術がもし幻影であったとしても、それは人への慰めとなり、そして、その体験は紛れもない実体験だと思うのです。

この地上の自然を受け入れることがどれだけ豊かで幸福なことであるかということを、制作しながら知っていった
text:住吉智恵(アートジャーナリスト) photo:浅田政志

Y :内藤さんの作品を観ていると、観ている自分の横にいるひとの存在が自分の体験にとって重要な意味を持っていると感じられることがあります。 互いに祝福されている者同士と感じたり、決して同じものを見ているという感覚を共有できない孤独を感じたり。 それによって作品の意味も強くなっていく気がするんですね。

N :ある頃から、「地上の生の光景」について考えるようになりました。いまはもういない人を思うとともに、自分と同じようにいまこのときを生きている姿を眼前に感じるのです。
1999年から2009年にかけて、直島の『家プロジェクト・きんざ』や、アサヒビール大山崎山荘美術館、佐久島、富山の発電所美術館、鎌倉の神奈川県立近代美術館などの一連の作品で、自然を通して「人間と世界との連続性」を探ってきました。
それ以前は、私の意思で安定した闇と光を作り直すことで、一つの場所を作っていたのですが、自然と人の暮らしに出会うきっかけとなった『きんざ』にあったのは、刻々と変化する自然光とその根底にある闇、人が暮らしてきた土地、かつてそこで生きた人たちの存在、流れる永い時間、そして、まさにいま生きている誰かの声、足音、ひとりひとりの気配でした。
そこで、もたらされていること、「受容」の意味に気づきました。私は『きんざ』の空間に一人でいるときも、たくさんのもののそばにいて、いっしょに流れるように生きているのです。
制作を進めながら、作品でもある場所は、「受容」するほどに豊かになるのだと思うようになりました。
『きんざ』に与えた名(タイトル)は「このことを」で、英語では「Being given」。「もたらされている」です。

Y :それがやがて豊島美術館の作品「母型」へとつながったんですね。

N :豊島美術館は、自然とアートと建築が境界をなくし、一つに連なった場です。それを願いながら制作しました。
土地の水が生まれ、光や風と流れる。鳥が啼き、降りてくる。
蛙や虫が歩く。人も歩く。しゃがみ込む。小さな声が響く。
次の瞬間に何が起きるかわからない。
水は輝き、風はリボンを揺らす。ただそれだけのことです。
それが、何か、地上に生きていることを伝えてくれます。
伝えてくれますと、人ごとのようですが、そこに入るたび、私ははじめて入るような気持ちだからです。自分が作ったとか、そういうことではないのです。
あの「母型」をなんと言ったらいいか。あまり言葉にしたくないです。ただ茫然とし、清められます。
そして、そこにいて、何かをじっと見つめていたり、ぼんやり佇む人の姿に、愛情としか言えないようなものを感じます。
そのようなことは、2001年の「このことを」からありましたが、「母型」で、ほんとうにそうなのだと思いました。

Y :そんなふうに充実した心境のなかで、美術館では5年ぶりの個展となる今回の展覧会。当館にとって、これから始まる未知の未来に開かれた時機に、内藤さんに伴走していただけることをうれしく思います。
どうぞよろしくおねがいいたします。

(2014年9月掲載)

内藤 礼 (ないとう れい)

1961年広島県生まれ。1985年武蔵野美術大学卒業。1991年、佐賀町エキジビットスペースで発表した「地上にひとつの場所を」で注目を集め、1997年には第47回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館にて同作品を展示。主な個展に、1995年「みごとに晴れて訪れるを待て」国立国際美術館、1997年「Being called」カルメル会修道院(フランクフルト)、2005年「返礼」アサヒビール大山崎山荘美術館、2007年「母型」入善町 下山芸術の森 発電所美術館、2009年「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」神奈川県立近代美術館 鎌倉などがある。パーマネント作品として2001年「このことを」 家プロジェクト・きんざ(直島)、また2010年には豊島美術館にて「母型」を発表。作品は、フランクフルト近代美術館、ニューヨーク近代美術館、イスラエル博物館、国立国際美術館などに収蔵されている。

八巻香澄 (やまき かすみ)

2009年「ステッチ・バイ・ステッチ 針と糸で描くわたし」展など、現代美術やデザインの展覧会を担当。教育普及プログラムの開発にも力を注いでいる。