メインタイトル:1925アール・デコパヴィリオン訪問

第1回 『ようこそ!アール・デコExpoへ』

 1925年、この年フランスのパリで、ある一つの装飾様式の名前として歴史に名を残すこととなる博覧会が開催されました。現代装飾美術・産業美術国際博覧会(Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels Modernes)―通称:アール・デコ博覧会。1910年代から30年代にかけてフランスを中心としてヨーロッパ、ひいては世界中を席巻したアール・デコ様式は、この博覧会の名前が由来となっています。建築・家具・ファッション・写真・映画といったあらゆる分野に、この様式の影響を見てとることができます。1933年に竣工した当館の建物(旧朝香宮邸)も、日本におけるアール・デコ建築として知られています。

図1:アール・デコ博覧会鳥瞰図(『イラストラシオン』より、文字追加筆者)

図1:アール・デコ博覧会鳥瞰図(『イラストラシオン』より、文字追加筆者)

 アール・デコ博覧会は、パリの第8区のグラン・パレからアレクサンドル三世橋を渡って第7区のエスプラナード・デ・ザンヴァリッドまでを会場として開催されました。4月から10月まで、約半年間開催されたこの博覧会には、述べ1600万もの人が訪れたと記録されています。開催国であるフランスを始め22か国が出展し、会場はグラン・パレ、ギャラリー、パヴィリオンといった各スペースによって構成されていました。特にパヴィリオンは、諸外国及び諸地域の特徴を表した建築を発表するためのスペースとして位置づけられ、特色豊かなパヴィリオンが建設されました。なお、このパヴィリオンスペースは、当初予定していたよりも外国からの出展が少なかったことから、フランスによって百貨店館や地方館が企画され、合計で約150のパヴィリオンが建ち並びました。

図2:セーヴル製陶所館(『アール・デコ博覧会公式報告書』より)

図2:セーヴル製陶所館(『アール・デコ博覧会公式報告書』より)

 当時のアール・デコ博覧会の会場を、グラン・パレからエスプラナード・デ・ザンヴァリッドまで順に辿ってみましょう。図1の右手前側には、1900年のパリ万博の際に建設されたグラン・パレとその向かいに建つプティ・パレ、少し奥へ進んでセーヌ川沿いには主に外国のパヴィリオンが立ち並びました。こちらには、イギリス、イタリア、ソ連、ベルギー、オランダなどの周辺各国、そして日本からも出展がありました。アレクサンドル三世橋を渡ってガルニエ大通りを直進すると、その両側にフランスのパヴィリオンと後ろにはギャラリー、庭園が設置されました。ガルニエ大通りの中間地点には、セーヴル国立製陶所館による特徴的な噴水状の尖塔を持つオブジェ(図2)が置かれていました。さらに進んで通りの突き当りには、ルネ・ラリックによる噴水が、電球によって華やかにライトアップされました。ガラスの女神像が組み上げられたこの噴水は、多くの来場者の目に留まった事でしょう。噴水の後ろには、大きくそびえるフランスの技能館・図書館・劇場が建設されました。

図3:アール・デコ博覧会公式報告書(当館蔵)

図3:アール・デコ博覧会公式報告書(当館蔵)

 この博覧会の出品物は5群37組に分類され、建築、家具、衣装・装身具、舞台芸術・庭園・街路芸術、教育といった様々な分野の装飾美術品が出品されました。出品物についてはアール・デコ博覧会の公式報告書(図3)によって詳しく知ることができます。この公式報告書は博覧会開催後にまとめられたもので、「美術・技術編」および「管理編」の二編によって構成されています。次回以降、この公式報告書を元にして、アール・デコ博覧会の様々なパヴィリオンについてご紹介していきます。(大木)



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