メインタイトル:1925アール・デコパヴィリオン訪問

第2回 『フランス大使館 応接サロン』


図1:フランス大使館 応接サロン(アール・デコ博覧会公式報告書より 第2巻)

上の写真をクリックすると、大きいサイズの写真をご覧いただけます図1:フランス大使館 応接サロン(アール・デコ博覧会公式報告書より 第2巻)

 アール・デコ博覧会開催の目的はなんだったのでしょう?フランス政府が作成した博覧会開催趣意書には「工芸的特質と現代的傾向を呈する製品を産出するすべての工業に対してこれを開催する。」と謳われています。過去の様式を追従するものは対象外とするなど、あくまでも現代的なものにこだわり、現代生活に相応しい工業製品の出品を呼びかけました。その狙いとは…。


 フランス装飾美術協会がアール・デコ博の計画をフランス政府に提出したのは1911年、当時、ドイツ工作連盟、ウィーン工房、ロシア構成主義など周辺各国で20世紀の新しい工業デザインが次々と誕生するなか、彼らはそれに対抗するフランスのモダン・デザインを打ち出す必要に迫られていました。輸出産業にも陰りが見え始めており、フランス政府はこの博覧会でフランス工業製品の現代性と芸術性を世界にアピールし、停滞気味の経済を活性化させようとしたのです。当初1915年に開催する予定でしたが、第1次大戦で延期となり1925年に開催に至りました。


図2:フランス大使館 応接サロン(アール・デコ博覧会公式報告書より 第3巻)

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 フランスは高級素材と優美なデザインによる数々の美しいパヴィリオンを出展し、その実力をフルに発揮しました。その代表的な存在が「フランス大使館」応接サロンです。設計は装飾美術家協会創立メンバーの一人でもあり朝香宮邸において客間などの設計を手がけたアンリ・ラパンがピエール・セルメルシャンと共同で行いました。各パーツの制作はエドゥアール・ベネディクトゥス(壁布)、レオン・ブジェ(大型家具)、アンリ・ブシャール(壁面上部レリーフ)、シャルル・デスピオー(彫刻)、ジャン・デュパ(絵画)、ルルー(柱頭、椅子の装飾彫刻)、エドガー・ブラント(扉)ら装飾美術家協会のメンバーを中心に当時第一線で活躍した美術家が手がけました。この応接サロンは、大量生産を志向した当時の「現代性」といった観点からみると、かなり手工業的であり装飾過剰、贅沢すぎるといえるでしょう。しかし、ここには直線的形態やモチーフの連続性によるダイナミズム、メタリックな素材質感、シンメトリーによる空間構成など、彼らが現代的と信じたアール・デコの力強さ、華やかさに溢れています。


 そしてこのパヴィリオンには朝香宮邸のデザイン源が至るところに見られます。この図版にある丸柱、壁布のモチーフは、朝香宮邸の殿下の居間の装飾に取り入れられています。(岡部)



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