メインタイトル:1925アール・デコパヴィリオン訪問

第12回  『ソヴィエト館』


図1:ソヴィエト館外観

上の写真をクリックすると、大きいサイズの写真をご覧いただけます図1:ソヴィエト館外観。向かって右手の階段が奥まで続いている。全面ガラス張りのため、外から中を覗くことができた。
(アール・デコ博覧会公式報告書所収)

 セーヌ川を境に、「コレクショヌール館」や百貨店のパヴィリオンが並ぶメイン会場の対岸には、各国のパヴィリオンが並んでいました。その一角に建てられたのが、エスプリ・ヌーヴォー館とともに人々の注目を集めたソヴィエト館でした。全長約30メートル、全幅約11メートル、長方形の箱のような形をしたこの建物は、現在の私たちの目から見るとシンプルでモダンに見えます。しかし、当時はこのような装飾の少ない建物は珍しく、人々の目には斬新で奇抜なものに見えたようです。建物の外側に取り付けられた大きな長い階段、赤く塗装された壁面と全面ガラスで構成された外壁、そして、国名と共産主義のシンボルマーク、鎌と槌(ハンマー)が掲げられたこのモダンな建物は、弱冠35歳の建築家コンスタンチン・メーリニコフ(1890-1974)によって設計されました。


 メーリニコフは、それまで目立った実績を持っていませんでした。1922年に個人住宅、1923年にモスクワ全ソ農業主工場博覧会の《マホルカ煙草の展示館》などを設計しただけの若い建築家でした。しかし、ソヴィエト館の設計協議審査会が、アール・デコ博覧会を、西欧に対してソヴィエト社会の新しい姿を世界に示す好機と考え、これまでにないメーリニコフの前衛的な設計案を採用したのでした。
 ソヴィエト館は一見、鉄筋コンクリート造りに見えますが実は木造です。この建物は、まずソ連国内で木材を加工した後パリで組み立てるという、今日のプレハブ工法で造られました。メーリニコフは1924年に木造による解体可能な営業用屋台を設計した経験があったため、この施工方法を採用することで、財政面・技術面での問題を解決したのでしょう。


図2:ソヴィエト館内部 《労働者クラブ》

上の写真をクリックすると、大きいサイズの写真をご覧いただけます図2:ソヴィエト館内部。《労働者クラブ》。中央の細長い机が折り畳み式のもの。

 さて、ソヴィエト館の内部《労働者クラブ》のインテリアは、当時のロシアを代表する芸術家アレクサンドル・ロトチェンコ(1891-1956)がデザインしました。ロトチェンコは、画家であり、建築、デザイン、写真などの分野でも活躍した芸術家でした。特に、詩人のウラジーミル・マヤコフスキー(1893-1930)と組んで作り上げた宣伝広告は、独創的なデザインが多く、今日でも多くの芸術家にインスピレーションを与えています。
 ロトチェンコは、この《労働者クラブ》で、展示台としても使用できる折り畳み式のテーブルを作りました。当時ソヴィエト国内では、街頭で大掛かりな演劇を行ったり、列車やボートにポスターなどを展示したりすることで、人々に革命の意義を宣伝していました。その際、プロパガンダ活動に使う資材を簡単に移動・解体できるようにしていました。
 メーリニコフがプレハブのような施工方法を用い、ロトチェンコが折り畳み式の家具をデザインしたのには、そのようなソヴィエト国内の風潮があったからかもしれません。


 このように当時としては珍しく経済的・合理的に作られたソヴィエト館は、アール・デコ博覧会の外国館部門で一等賞を獲得しました。しかし、公式報告書の中では、低予算のかりそめの建物だったが、人々の注目は集められたようだ、とその評価はどこか微妙なものでした。その一方で、報告書の中でも、ル・コルビジェやヴァルター・グロピウスの作品とソヴィエト館との類似性が指摘されており、様々な議論を呼んだパヴィリオンの一つであったことがうかがえます。(浜崎)



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