メインタイトル:1925アール・デコパヴィリオン訪問

第10回  『ポール・ポワレの川舟パヴィリオン』


 特色あるパヴィリオンのなかでもユニークなものはファッション・デザイナーのポワレのそれでしょう。ポール・ポワレ(1879-1944)は1906年に発表したハイ・ウェストのドレスによってコルセットから女性を解放したことでモードの改革者と位置づけられますが、彼の改革は単なる服飾デザインにとどまるものではありませんでした。店舗のディスプレイやいくつもの伝説的なプレゼンテーション、ポール・イリーヴやジョルジュ・ルパップを起用した美しい限定版のアルバム出版など、革新的な手法によるイメージ戦略も相まってポワレはまたたくまにパリのモード界を席巻します。ツアーにモデルを引き連れた写真が何枚か残されていますが、その威厳ある姿は「モードの帝王」と呼ばれるにふさわしいものでした。
 ポワレのデザインの中には、古代ギリシアやロシア・バレエ、東洋とアラブ趣味など、同時代の旺盛な好奇心をくすぐる要素がふんだんに表現されていました。色彩を含め、彼が取り入れた多くの要素はそのまま第一次世界大戦後のアール・デコに引き継がれ、モードのみならずさまざまな装飾美術の分野に広まることになります。


図1:ポワレのパヴィリオン外観

上の写真をクリックすると、大きいサイズの写真をご覧いただけます図1:ポワレのパヴィリオン外観
「アール・デコ博覧会おみやげ用ポストカード アルバム」(A.パプギン社発行)所収

図2:「愛」号の室内

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アール・デコ博覧会公式報告書 第4巻 Pl. XLI

 1925年のアール・デコ博でポワレはセーヌ側の左岸、アレクサンドル三世橋のたもとに3艘の川船をパヴィリオンとして係留しました。3艘の船は、それぞれ「愛(AMOUR)」、「悦楽(DÉLICES)」、「オルガン(ORGUES)」と名付けられました。(図1)階段状の甲板をもった「愛」号のベッド・ルーム、リビング・ルーム、ダイニング・ルームはメゾン・マルティーヌの家具やファブリックなど室内装飾品のプレゼンテーションとなっていました。(図2)メゾン・マルティーヌは、ポワレが1911年に創設したデザイン学校兼工房のアトリエ・マルティーヌのショップです。半円形の窓が並んだ中央の「悦楽」号はマルティーヌ工房と同年に立ち上げた香水と化粧品の会社ロジーヌの展示で、高級レストランとして使われました。ちなみに商品名でもあったロジーヌは彼の娘の名前からとられました。一番下流の「オルガン」はメゾン・ポール・ポワレの展示になっていました。ここには特別制作された光るオルガンとル・アーヴルのヨット・レース、ロンシャン競馬場、イル・ド・フランスの風景、ドーヴィルのバカラ、海軍長官の舞踏会など現代生活の楽しみを描いたラウル・デュフィの下絵によるリヨンの絹織物会社ビアンキーニ=フェリエ製の壁掛けが14枚展示されました。ポワレはデュフィとのコラボレーションをとりわけ大切に思っていたようです。


 さて、こうした意欲的なプレゼンテーションにも関わらず、ポワレは自伝のなかでこの博覧会を回想して「たいへんな幻滅であった」と述べています。実は第一次世界大戦後の彼のメゾン経営は思わしくありませんでした。起死回生を狙ったのか、ポワレはこのパヴィリオンに巨額の費用をつぎ込みましたが、結果としてそれは彼にとって大きな負担となりました。以降は破産を繰り返し、1929年にはメゾンを閉鎖することになります。パヴィリオンにはポワレの求めていた「デラックスな顧客」はもはや訪れず、ポワレは時代の大衆化を身をもって知ることになりました。しかしながら、単にドレスを提供するだけに止めず、生活空間全体や音楽や食という身体的な喜びと結びつけたパヴィリオンは、まさしくポワレの美学を表現したものとして、彼の伝説の一つとして語り継がれるでしょう。(関)


図3:「アール・デコ博覧会おみやげ用ポストカード アルバム」(A.パプギン社発行)表紙。

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図1を含め会場写真をコロタイプ印刷した20葉の絵はがきを納めている。
図版はいずれも東京都庭園美術館蔵資料



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