メインタイトル:1925アール・デコパヴィリオン訪問

第6回  『コレクショヌール館とグランド・サロン』


図1:建物外観

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 アール・デコ博覧会には約150ものパヴィリオンが出展されていましたが、コレクショヌール館は一際大きな称賛を持って迎えられました(*1)。コレクショヌール館(L’hotel du collectionneur)、つまり“コレクター(美術収集家)の館”を意味するこのパヴィリオンは、アール・デコ様式を代表する装飾美術家であるジャック・エミール・リュールマン(Jacques-Emile Ruhlmann, 1879-1933)が中心となってその構成を行いました。協力者には、彫刻家のアントワーヌ・ブールデル、画家のジャン・デュパ、金工家のエドガー・ブラント、漆工芸家のジャン・デュナンといった、当時活躍していた多数の芸術家・装飾美術家たちの名前が挙げられ、その中には当館建築の室内装飾を手掛けたアンリ・ラパンの名もありました。


 リュールマンは、1879年にパリの建築装飾に携わる家に生まれ、高級家具の製作に取り組みました。フランスの美術展覧会の一つであるサロン・ドートンヌに出品するなどして徐々に活躍の場を広げ、豪華客船「イル=ド=フランス」号のティールーム、植民地博覧会の博物館などの数多くの室内装飾に携わり、絶頂期の1933年に死去しました。リュールマンの経歴の中でも、アール・デコ博覧会のコレクショヌール館は、彼がアール・デコ様式を代表する作家として認められるに至った重要な仕事の一つです。詳しくこのパヴィリオンについて見ていくことにしましょう。


図2:大広間

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 建物の設計は、リュールマンの親しい友人でもあった建築家ピエール・パトゥが手がけました。外観は白い石膏で仕上げられており、一見したところ簡素に見えますが、正面の上部にせり出した半円部分や両サイドの柱廊(ポーチ)部分には、浮彫装飾やフレスコ画が設えられていました。このパヴィリオンは、博覧会の展示の一つとして造られた架空の館でしたが、まるで実際の住居であるかのように設計されました。エドガー・ブラントによる花かごをモチーフにした鉄細工の門をくぐって室内に入ると、グランド・サロン(大広間)を中心にして、食堂、書斎、浴室、婦人用私室、寝室が円を描くようにして配置されています。すべての部屋は壁面やドアで分断された独立空間とはなっておらず、部屋同士の連続性を重視した造りとなっていました。


図3:ジャン・デュパ《インコ》

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 室内は鮮やかな色彩と贅を凝らした装飾に満ちていました。特にグランド・サロンの設えは華やかで、「ベートーヴェン交響曲」をテーマにした巨大な天井画からは、何重にもビーズを連ねた豪華なシャンデリアが吊り下げられました。特徴的な犬とハリネズミが施されたジャン・デュナンによる漆のキャビネットの上には、アントワーヌ・ブールデルによる《ヘラクレス》の小彫刻が置かれました。リュールマン自身も家具のデザインを手がけており、黒檀や象牙などの貴重な材料が用いられました。グランド・サロンの中でも目を引くのが、大理石に縁どられたジャン・デュパの《インコ》と題された装飾画でした。インコの止まり木の傍には、寄り添うように裸体もしくは着衣の女性が配置されており、マニエリスム風の曲がりくねり引き延ばされた人体表現が用いられました。赤・青・緑・黄色などの強烈な色彩の組み合わせが使われ、白い斑の大理石と相まって見る者にインパクトを与えたことでしょう。


 コレクショヌール館には、当時活躍した芸術家たちがこぞって参加しており、“美術収集家の館”というテーマの下、貴重な材料や職人芸の粋を集めたインテリアで埋め尽くされました。近代的なブルジョワの感覚とフランスの伝統的な装飾性とが一つの空間の中で見事に調和しており、今なおアール・デコを代表するパヴィリオンとして注目を集めているのです。(大木)


  • *1 Henri Clouzot, “Le pavillon du collectionneur”, La Renaissance de l'art francais et des industries de luxe, 1925, pp.524-530.


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