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アール・デコ博覧会が開催された1920年代は、人々の暮らしの中に電気による明かりが浸透し始めた時代です。アール・デコ博覧会もまた、電気の光を効果的に活かした装飾で彩られ、人々を魅了しました。その夜の景観の美しさを、当時パリに滞在していた美術評論家森口多里はフランスの日刊紙の記事を引用して以下のように紹介しています。(*1)
夜、累々たる切子や面の透視景は心に沁み込む。そして良夜の光の中で、蛋白色や青色や薔薇色や橙色の角立った射影の下で、人々はアンヴァリードのレスプラナードを歩きながら、さながら幻術の都を、結晶の国の輝かしい首府を、横ぎっているような心地がする。(略)人々は光の反射と屈折との間を眩惑しながら歩きまわる。眩い光輝の只中に螺集する見物人の群れは、虹のなかで跳る蜉蝣の渦巻にほかならない。
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同じく博覧会を見学し報告書にまとめた商工書記官 佐々木茂枝もまた、アール・デコ博覧会の装飾上の二大特質として電気と水による装飾が多用されたことだと指摘しています。電気の多用については、会場の設計は夜間の為にのみ構案されたように感じられたと記しており、水の使用についても多彩で、広場をはじめ室内、通路にまで噴水が設けられ、それらは五彩の電飾が施されていたと報告書に記しています。(*2)
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この電気と水による装飾のうちアール・デコ博覧会の代表的なものとして挙げられるのがルネ・ラリックのガラスの噴水です。
ルネ・ラリックは旧朝香宮邸の正面玄関扉ガラスパネル、大客室、大食堂のシャンデリアを手掛けたアール・デコを代表するガラス作家です。もとは宝飾デザイナーとして19世紀末のパリを舞台に活躍していましたが、20世紀に入って間もなく、新しい時代の装飾素材として量産が可能なガラスに着目しガラス作家に転身しました。同時にガラスメーカーとして起業し、香水瓶から建築装飾に至る幅広いガラス製品を手掛け、この分野においても成功を収めます。1925年アール・デコ博覧会では、ラリック館、ラリックの噴水塔を出展するなど大型ガラス作品により新しいガラスの魅力を世界に向けてアピールしました。
「フランスの源泉」と名付けられたラリックの噴水は、博覧会場を貫く目抜き通りの突き当たり、アンヴァリッド広場の中央に設置されました。8角形、高さ15メートルにそびえるガラスの噴水は、16段に積み上げられたガラスの女性像によって構成されています。ラリックのレゾネによるとこれらの彫像は13種類のデザインがあり、高さが70センチ前後、50センチ前後の2つのタイプの大きさがあることがわかります。(*3) それぞれ「カリプソ」、「ダフネ」、「エコー」、「ガラテ」など女神や精霊の名がつけられ、あるものは睡蓮の花を手に、あるものは魚や貝を手に、まるで下界を見下ろすかのような姿勢をとっています。彫像の細部には繊細な装飾が施されていますが、全体のフォルムは直線的であり、それぞれの彫像から水が放物線を描き糸のように落ちる仕掛けとなっています。夜間は塔の内側から電気照明によりガラスの彫像が輝き、光の効果によってガラスと水が一つの造形となって夜の闇に浮かび上がります。ラリックの噴水はまさにガラスを媒体に電気と水を効果的に使った夜のイリュージョンとして多くの人々の目を惹きつけたことでしょう。
秋の夜長にアール・デコ博覧会で美しいラリックの噴水塔の下をそぞろ歩いてみたくなります。(岡部)