東京都庭園美術館


朝香宮邸のアール・デコ

1933年(昭和8年)に竣工した朝香宮邸は、宮内省内匠寮[たくみりょう]工務課が設計・監理し、戸田建設が施工を担当しました。アール・デコの精華ともいえる建築の完成は、朝香宮自身が依頼したアンリ・ラパンらフランス人芸術家、デザイナーの協力と、そして何よりもアール・デコを目の当たりにし、その様式美に魅せられ自邸の建設に積極的に取り組まれた、朝香宮ご夫妻の熱意があって実現したといっても過言ではありません。

 外観はモダニズム建築のもつ抑制が感じられ、立面は直線の織りなす幾何学的リズムと簡潔さを基調として、列柱やベランダ廻りのレリーフなどが示すアール・デコ的な装飾が単調になりがちなファサードにアクセントを与えています。1階は中庭を中心にしたロの字型のシンプルな平面で、東と南に面した部分は客室を中心にしたパブリック・スペースで構成され、事務所、厨房などのある部分とは明確に区別されています。2階は朝香宮家のプライベート・スペースで、全て洋間です。こうした設計プランは内匠寮[たくみりょう]が手がけた建築に共通しており、典型的な平面プランといえます。現代社会のはしりともいえる時代を反映し、量産可能な工業製品のデザインから始まったアール・デコは大衆的な様式でしたが、朝香宮邸においては日仏のデザイナー、技師が総力をあげて建築材料を厳選し、当時のできうる限りの技術を駆使し、宮家に相応しい格調高い独特のアール・デコ建築を創造しました。
 朝香宮邸建設に携わった宮内省内匠寮工務課は、宮内省所管の建築、庭園、土木などを司るエリート集団で、当時は100名ほどの優秀な人材を有していました。
 宮内省内匠寮が手がけた主な建築物は、赤坂離宮(1908年)、竹田宮邸(1911年 現高輪プリンスホテル)、久邇宮[くにのみや]邸(年代不詳 現聖心女子大学)、李王家邸(1930年 現赤坂プリンスホテル)、東京国立博物館(1937年)などがあります。
 朝香宮邸の設計にあたり、最も重要な役割を果たしたのは宮内省内匠寮の技師であった建築家、権藤要吉[ごんどうようきち](1895-1970)です。権藤は1925年から26年にかけて貴族の住宅および博物館研究のため欧米に派遣されますが、その際にパリのアール・デコ博を数度訪れ、会場に展開された近代建築、デザインの数々を熱心に研究しました。朝香宮家の信任も厚く、パリでアール・デコに直接触れた権藤は、宮邸の設計担当者として最適任者であったといえるでしょう。

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  • 大客室から次室を望む
    (1933年竣工当時)
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  • 殿下書斎
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  • ウィンターガーデン
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  • 宮内省内匠寮工務課のスタッフ
    (1930年ごろ)

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