朝香宮家は
鳩彦王は、陸軍大学校勤務中の1922年(大正11年)から軍事研究のためフランスに留学されましたが、1923年(大正12年) 4月パリ郊外で交通事故に遭われ、看病の為渡欧された妃殿下とともに大正14年(1925)まで長期の滞在を余儀なくされました。
当時フランスは アール・デコの全盛期で、1925年にはパリで現代装飾美術・産業美術国際博覧会(通称アール・デコ博覧会)が開催されました。朝香宮ご夫妻もこの年の7月9日に美術局長ポール・レオンの案内で博覧会を見学されています。
帰国後は高輪の旧邸に住まわれましたが、1929年(昭和4年)より白金台の敷地に新邸建設の計画をすすめられ、アール・デコの粋を集めた朝香宮邸は1933年(昭和8年)5月に竣工しました。
妃殿下は建築が完成した年の11月にご逝去されますが、朝香宮家は第二次世界大戦後までこの地に住まわれました。その後、1947年(昭和22年)10月皇籍離脱し、朝香家と称し住まいを熱海に移されました。
明治天皇第8皇女
第1王女
第1王子
第2王子
第2王女