この地上の自然を受け入れることがどれだけ豊かで幸福なことであるかということを、制作しながら知っていった

この地上の自然を受け入れることがどれだけ豊かで幸福なことであるかということを、制作しながら知っていった

text:住吉智恵(アートジャーナリスト) photo:浅田政志

1 2

Y :内藤さんの作品を観ていると、観ている自分の横にいるひとの存在が自分の体験にとって重要な意味を持っていると感じられることがあります。 互いに祝福されている者同士と感じたり、決して同じものを見ているという感覚を共有できない孤独を感じたり。 それによって作品の意味も強くなっていく気がするんですね。

N :ある頃から、「地上の生の光景」について考えるようになりました。いまはもういない人を思うとともに、自分と同じようにいまこのときを生きている姿を眼前に感じるのです。
1999年から2009年にかけて、直島の『家プロジェクト・きんざ』や、アサヒビール大山崎山荘美術館、佐久島、富山の発電所美術館、鎌倉の神奈川県立近代美術館などの一連の作品で、自然を通して「人間と世界との連続性」を探ってきました。
それ以前は、私の意思で安定した闇と光を作り直すことで、一つの場所を作っていたのですが、自然と人の暮らしに出会うきっかけとなった『きんざ』にあったのは、刻々と変化する自然光とその根底にある闇、人が暮らしてきた土地、かつてそこで生きた人たちの存在、流れる永い時間、そして、まさにいま生きている誰かの声、足音、ひとりひとりの気配でした。
そこで、もたらされていること、「受容」の意味に気づきました。私は『きんざ』の空間に一人でいるときも、たくさんのもののそばにいて、いっしょに流れるように生きているのです。
制作を進めながら、作品でもある場所は、「受容」するほどに豊かになるのだと思うようになりました。
『きんざ』に与えた名(タイトル)は「このことを」で、英語では「Being given」。「もたらされている」です。

Y :それがやがて豊島美術館の作品「母型」へとつながったんですね。

N :豊島美術館は、自然とアートと建築が境界をなくし、一つに連なった場です。それを願いながら制作しました。
土地の水が生まれ、光や風と流れる。鳥が啼き、降りてくる。
蛙や虫が歩く。人も歩く。しゃがみ込む。小さな声が響く。
次の瞬間に何が起きるかわからない。
水は輝き、風はリボンを揺らす。ただそれだけのことです。
それが、何か、地上に生きていることを伝えてくれます。
伝えてくれますと、人ごとのようですが、そこに入るたび、私ははじめて入るような気持ちだからです。自分が作ったとか、そういうことではないのです。
あの「母型」をなんと言ったらいいか。あまり言葉にしたくないです。ただ茫然とし、清められます。
そして、そこにいて、何かをじっと見つめていたり、ぼんやり佇む人の姿に、愛情としか言えないようなものを感じます。
そのようなことは、2001年の「このことを」からありましたが、「母型」で、ほんとうにそうなのだと思いました。

Y :そんなふうに充実した心境のなかで、美術館では5年ぶりの個展となる今回の展覧会。当館にとって、これから始まる未知の未来に開かれた時機に、内藤さんに伴走していただけることをうれしく思います。
どうぞよろしくおねがいいたします。

(2014年9月掲載)

内藤 礼 (ないとう れい)

1961年広島県生まれ。1985年武蔵野美術大学卒業。1991年、佐賀町エキジビットスペースで発表した「地上にひとつの場所を」で注目を集め、1997年には第47回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館にて同作品を展示。主な個展に、1995年「みごとに晴れて訪れるを待て」国立国際美術館、1997年「Being called」カルメル会修道院(フランクフルト)、2005年「返礼」アサヒビール大山崎山荘美術館、2007年「母型」入善町 下山芸術の森 発電所美術館、2009年「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」神奈川県立近代美術館 鎌倉などがある。パーマネント作品として2001年「このことを」 家プロジェクト・きんざ(直島)、また2010年には豊島美術館にて「母型」を発表。作品は、フランクフルト近代美術館、ニューヨーク近代美術館、イスラエル博物館、国立国際美術館などに収蔵されている。

八巻香澄 (やまき かすみ)

2009年「ステッチ・バイ・ステッチ 針と糸で描くわたし」展など、現代美術やデザインの展覧会を担当。教育普及プログラムの開発にも力を注いでいる。

1 2
PAGE TOP