CONVERSATIONS展覧会についての対談

VOL.1 内藤 礼(アーティスト) × 八巻香澄(学芸員)

作品もそれだけで存在するのではなく、私の部屋で生まれたひとつの姿が、展覧会という場所で、無数のひとびとのあいだの場所と時間をめぐるもの

text:住吉智恵(アートジャーナリスト) photo:浅田政志

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いよいよ11月22日より開催される、東京都庭園美術館リニューアル最初の企画となる「内藤礼 信の感情」展。
日本を代表するアーティスト・内藤礼さんは、1997年に第47回ヴェネチアビエンナーレ日本館の「地上にひとつの場所を」で世界的に注目されて以来、体験した者に深く静かな驚きと歓びをもたらす数々の作品を発表してきた。
さらに2001年の直島での家プロジェクト・きんざ「このことを」、2010年の豊島美術館「母型」といった、パーマネント作品を手がけ、この地上の生を生んだ自然への返礼として手向けられる花のように、静寂でありながら強かな息づかいをもつ作品をつくり続けている。
新館でのペインティングの新作展示のほか、本館でもかつて邸宅であった空間との対話から生まれた展示を構想している内藤さんに、本展担当学芸員の八巻香澄が話を聞いた。

八巻(以下Y):新館のオープンと本館(旧朝香宮邸)のリニューアルのこけらおとしの展示を内藤さんにお願いしたのは、この展覧会がどこか地鎮祭のような意味あいを帯びてくるだろうと考えたからです。
まだ何のストーリーも時間の重なりもない新館に生命を吹き込んで、すでに歴史や時間が重層的に存在している本館にも、その新しい何かへと導かれる展示をとお願いしました。

内藤(以下N):今回、私が関わるのは、新館が生まれたての、展示のためのホワイトキューブであるのに対して、本館は個の記憶を持つ特殊な家ですね。
初めての場所に出会う時、私はまず、その場所はよいものである、と考えます。
場所の、あるいは物や世界の本来の姿というのは、そのままでは見えにくくなっているものです。そこに、畏れながら最小限の関わりを持つことで、少しでも本来の姿が立ち現れ、生きるようにと願います。

Y :本館の空間はどのように思われましたか?

N :このようにきらびやかな装飾に彩られた場所は、これまで縁がありませんでしたが、それもまた人が生きてきた場所であることは確かなのです。そこで生き、過ごした人たちを思いました。
いま私が取り組んでいることを胸に、一人で、空っぽになって、感じられるものを一つ残さず捉えようと、何日もそこにいました。
本館と新館をゆっくり巡り、そこに現れようとしているものを感じとろうとしました。
やがてある感情が動きだし、止まらなくなりました。
ここはどういう場所で、私は何をしようとしているのか。
こみ上げる感情によって感じとろうとしました。
その頃から、場所は私にとって少しずつ普遍的で親密なものになっていきました。
いっしょうけんめいに現れようとしているものを、限定したり抑制してしまわないように、形を持たないまま心に漂わせ、誰にもしゃべらずに、そのまま家に帰りました。

Y :「どのように思いましたか?」ってその時も訊きたかったのですが、スポイルしてはいけないと思って、グッとこらえました(笑)展覧会のタイトル「信の感情」には、これまでにない揺るぎない決意を感じました。「信じる」とは、行動につながる能動的な言葉だと思います。静けさのなかで、観客自身も考える体験をする、かなりハードコアな展示になるという気がしています。

N :自分への問いかけや、確かさの積み重ねによって、この言葉を言っていいと思いました。
ある場合に、「見る」ことは「認める」ことでもあり、それはまた、「それはそれであると思う」ことだと思うのです。
「それはそれであると思わないのではない」のです。
私の「見る」働きかけと、対象からの「見る」働きかけが同時にあり、互いに「見られている」と感じたとき、自他の区別がなくなり、強い肯定感に包まれたことがあります。
対面している世界と私は、互いに、同じように、愛の働きかけをしようと待っていたのだと感じたのです。
湧き出るように、目の前に現れようとしているひそやかで不確かなものは、もしかするといま私に向けられたのではないか、私はそれを受けとったのではないかと感じたとき、受けとっているものの他にも何か欲しいと思うでしょうか。
私は思わない。
やって来るのはいつもむこうからです。私はいつも受けるがわで、私にできるのは、受けとっています、とお礼をつたえることくらいです。だから何度でも何度でも、私は見ています、 受けとっていますとつたえます。
光も色彩も形も眼差しも、花々も木の輝きも鳥の声も、そしてこの感情も、命も、どこからかやって来る。
「信の感情」は、美術館で一人で過ごしていたとき、ふと浮かんだ言葉です。

Y : 先ほど本館で内藤さんの姿を撮影していたとき、ふと内藤さんの身体からなにかが抜け出して、動き始めたような感じがあって、空間そのものが変わったように感じたんです。 窓から射し込む光や緑のゆらぎが目に入ってきて、それがまるで自分に向けられるように感じる。それはとても人間的な感覚だと思えました。

N :もしかしたら、それは生身の私というより、あの場所とつながりはじめた私だったのかもしれませんね。
眼に映るこの世界や芸術がもし幻影であったとしても、それは人への慰めとなり、そして、その体験は紛れもない実体験だと思うのです。

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  • 内藤礼“このことを”2001年 家プロジェクト・きんざ 写真:小熊栄

    内藤礼"このことを"
    2001年
    家プロジェクト・きんざ
    写真:小熊栄

  • 内藤礼“このことを”2001年 家プロジェクト・きんざ 写真:森川昇

    内藤礼"このことを"
    2001年
    家プロジェクト・きんざ
    写真:森川昇

  • 内藤礼“母型”2010年 豊島美術館 写真:森川昇

    内藤礼"母型"
    2010年
    豊島美術館
    建築:西沢立衛
    写真:森川昇