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ポール・ポワレとマリアノ・フォルチュニィの間に、どの程度親交があったかは、あまり分かっていません。フォルチュニィが一時期ポワレの店で働いていたとする資料もありますが、師匠と弟子、または友人同士という強い結びつきが両者にあったわけではないようです。
ポワレはパリのモード界の中心で「モードのスルタン」として君臨し、フォルチュニィは自らの創造の一分野として服飾に関わるという、全く異なるスタンスでありながら、同じ時代に生きた二人が、同じく東洋や古代文明にデザインの源泉を求めたところに、二人の卓越した眼が感じられると同時に、時代の大きな流れを読み取ることができます。
ポール・ポワレ(1879-1944)
パリで生まれ、幼い頃から劇場に出入りし、華やかな世界に興味を抱いていたポワレは、父親が決めた傘屋の奉公に嫌気がさし、自分で描いたデザイン画を持ち回って高級服飾店に採用の機会を得ます。1903年に自分の店を出す以前は、世界中の宮廷にドレスを供給していたウォルトの店で働いていました。採用の決め手は、「フライド・ポテトのような」と例えられた、気安く着られるドレスが高級服飾店にも必要とされていたからです。ポワレはイスラム世界や東洋の伝統的な衣装を好んでデザインに取り入れています。直線的なポワレのドレスは、それまでの細い腰を強調した女性のシルエットそのものを変え、成功した点で評価されています。
マリアノ・フォルチュニィ(1871-1949)
スペインのグラナダに生まれ、イタリアで活躍したデザイナーです。舞台照明で一躍名をあげ、ドレスの布にも光を意識したデザインを施しています。古代ギリシャの衣装に着想を得た、絹サテンに細かいプリーツの「デルフォス」というドレスは、体の線に沿って動く布が、光によって微妙な色彩の変化を生み出しています。それ以前のドレスが、レースやリボンでいかに飾り立てるかに腐心したのに対し、布そのものにデザイン性を求めた点で、新たな思想による服飾デザインを試みたといえます。フォルチュニィはこのほか絵画、彫刻、インテリアデザインなどにも、多彩な才能を発揮しました。
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今回展示される衣装は、80年から100年前に作られたものです。しかし今着てもそのまま通用しそうな、古臭さを感じさせないデザインのものがたくさんあることに驚かされます。
西洋の服飾文化は、20世紀初頭に大きく変わりました。ポール・ポワレやマリアノ・フォルチュニィの生み出した衣装は、現代のモード(服飾の流行、特にオートクチュール業界におけるデザインの動向)の源流に位置しています。彼らの作品はどのように前時代のものと異なるのでしょうか。そして彼らは何に新しさを求め、いかにして革新的なデザインを生み出したのでしょうか。
彼らが活躍した時代は、西洋文明が行き詰まりを迎え、社会のあらゆる面で「新しさ」を求めていた時代でした。絵画において、文学において、音楽において、そしてもちろんモードにおいて、様々な試みがなされます。そしてポワレとフォルチュニィが見出した答えは、東洋や古代文明など、自分達の存在している枠組みの外に着想を得ることでした。
ハーレムパンツやキモノ・コートなど各地の民族衣装をデザイン・ソースとしたファッションは、それまでの西洋の服飾文化とは異なる文脈から生み出されました。そのため、現代の私たちから見ても、あまり時代を感じさせないのでしょう。
20世紀に入り、市民階級が台頭してきた時代に生まれた、ポワレやフォルチュニィのドレスは、前時代までの貴族階級たちが着ていたものに比べると、あっけないほど簡素なものです。50年代から60年代にかけて流行した構築的なフォルムのオートクチュール(ディオール、バレンシアガ、ジバンシィなど)と比べても、肉体に沿わせるために立体的に造形するダーツもなければ、ドレスを補強するための芯も貼られていない、ほとんど一枚の布に等しいようなポワレとフォルチュニィのドレスは、実に単純で、頼りないものに感じられるでしょう。
しかし、軽くしなやかな生地を重力に従わせるようにデザインしたドレスだからこそ、それが包み込む肉体の美しさを表現できるという逆説を見事に体現しているのです。それは、女性たちが体のラインを矯正するコルセットの中で息をひそめていた時代にあって、革新的なデザインでした。
また、リボンやレースなどの付加的な装飾を廃した彼らは、ドレスに表情を持たせる方法として、テキスタイルに注目しました。特にフォルチュニィのドレス「デルフォス」は、不規則に折りたたまれたプリーツの表面に光が乱反射して、ドレス自体がやわらかく光を放っているように見えます。
女性が身につけるファッションとしてだけではなく、造形として非常に美しい―それが今回展示する作品の見どころとなります。女性だけではなく、デザインに関心の高い男性にも、ぜひご覧いただきたいと思います。
マリアノ・フォルチュニィは、モード業界でシーズンごとに新作を発表するというクチュリエではありませんでした。写真家や版画家、舞台美術家と様々なことに挑戦したアーティストとして、ドレスのデザインも手がけたのです。彼が作り続けたのは、「デルフォス」と呼ばれるプリーツのドレスと、中東のカフタンに想を得たコートだけといっても過言ではありません。そのため、「デルフォス」の革新性はモードの歴史において重要性を認められながらも、多くの作品を集めて展覧会を開く機会は、日本においてはほとんどありませんでした。
今回は、1985年に東京・スパイラルホールで開催された「布に魔術をかけたヴェニスの巨人 フォルチュニィ展」以来、実に23年ぶりの展覧会開催となります。
ポール・ポワレは、若い頃にウォルトという高級服飾店で働いていました。そのころウォルトのデザインを担当していたのは、創設者シャルル・フレデリック・ウォルトの長男ジャンでしたが、ジャンがこちこちの伝統主義者であったのに対し、経営を担当する弟のガストンは、伝統主義的なデザインだけでは時代の要請に応えられないことを悟り、「老舗のレストランにも、フライド・ポテトをメニューに加える必要がある」と言って、ポワレの採用を決めたといいます。ポワレのデザインするドレスは、当時の人々の眼には、あまりに簡素で実用的なものに見えていました。 その後独立したポワレは、奇抜とも言えるデザインを次々と生み出し、それを着たモデルたちを伴って街へ繰り出したり、パーティーを開いたりしました。そして彼の妻ドゥニーズやモデル達のまとうファッションが、パリの流行として広まっていくようになったのです。
モードは常に変化しつづけ、そして回帰していきます。70年代にパンク・ファッションで注目されたヴィヴィアン・ウエストウッドは、80年代後半から、コルセット、クリノリン、バッスルなどの19世紀までのヨーロッパの伝統的な服飾文化、特に下着を表層化させる作品を発表しています。毒の効いたヴィヴィアン流「ヨーロッパの伝統的スタイル」を、回帰するモードを象徴させる意味で、1点展示いたします。
(作品保護のため、前期と後期で異なる作品を展示します。)
展示への理解を深めるために、今回もフロア・レクチャーや講演会の機会を設けています。
展示室内を一緒に歩きながら、担当学芸員やインターンが展示についてお話をするフロア・レクチャーは、会期中の木曜日に毎週行います。
また、新館大ホールにて行う記念講演会は、20世紀モード史の専門家・能澤慧子氏と、パリについて語らせたら右に出る者のいないフランス文学者・鹿島茂氏のお二人にお願いしました。能澤氏にはポワレとフォルチュニィによるデザインの特異性について、また鹿島氏には当時のモードと建築についてパラレルに語る文明批評をテーマとして、お話いただきます。
能澤慧子(のうざわけいこ)氏 プロフィール:
1970年、お茶の水女子大学家政学部被服学科卒業。文化女子大学西洋服装史講師などを務め、現在、東京家政大学教授。著作に『モードの社会史』(有斐閣、1991年)、『20世紀モード 肉体の解放と表出』(講談社選書メチエ、1994年)など。訳書に『ポール・ポワレの革命 20世紀パリ・モードの原点』(文化出版局、1982年)など。
鹿島茂(かしましげる)氏 プロフィール:
1949年、神奈川県横浜市出身。東京大学文学部仏文学科卒業。同大学院人文科学研究科博士課程修了。現在、明治大学国際日本語学部教授。19世紀フランス文学を専門とし、オノレ・ド・バルザック、エミール・ゾラ、ヴィクトル・ユーゴーなどの作品やその時代の風俗を描いた軽妙なエッセイで知られる。著作に『馬車が買いたい!』(白水社、1991年)、『パリ時間旅行』(筑摩書房、1993年)、『子供より古書が大事と思いたい』(青土社、1996年、のちに文春文庫)、『「パサージュ論」熟読玩味』(青土社、1996年)など。
本展では、建築家の内藤廣氏に展示デザインをお願いしました。アール・デコ装飾で彩られる室内で、ポワレとフォルチュニィのドレスを展示するにあたり、内藤氏が提示したコンセプトは「夜会」。女性たちが華やかな衣装を身にまとって集う夜会に招かれたゲストとして、来館者の皆様にも楽しんでいただければ幸いです。
また、夜会に欠かせない音楽は、クラシック・コンシェルジェこと宮嶋極氏と小谷和美氏による選曲です。リヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」( 1911年)のインストゥルメンタルを中心に、「20世紀初頭のヨーロッパの夜会」をイメージした10曲を流しています。
クラシック・コンシェルジェ 宮嶋さんからメッセージ
「ポワレとフォルチュニィ」展のBGM選定にあたっては、まず会場となる美術館の内部をジックリ見せていただきました。ヨーロッパのサロン的な雰囲気を現在に伝える美しい内装や先進的なデザインと、本展出品作品のイメージとをオーバラップさせた上で「20世紀初頭のヨーロッパの夜会」という基本イメージを構築。これに沿って選曲を進めることにしました。
20世紀前半に作られた音楽の大半は、あまりに前衛的過ぎて展示のイメージとは乖離があることから、18世紀のモーツァルト(1756~1791)のオペラへの回帰を念頭に書かれたリヒャルト・シュトラウス(1864~1949)の歌劇「ばらの騎士」(1911年1月26日初演)に注目しました。
このオペラの物語の設定は、18世紀のウィーンの貴族社会。それを20世紀の高度な作曲技法を駆使して音楽化していることもあって、美しさの中にも濃密なテイストを感じさせるメロディが随所に散りばめられており、まさに「20世紀初頭のヨーロッパの夜会」というイメージに合致するものでした。
但し、オペラそのものは声楽が入っていることに加えて、大編成のオーケストラの音楽もBGMにはふさわしくないことから、純器楽の小品に編曲した音源をいくつか選び出し、10曲約1時間にわたるBGM集を組み立てました。全体を通して20世紀のヨーロッパの夜会で演奏されていたであろうと考えられる雰囲気やイメージを大切にし、さらに「ばらの騎士」に関連付けて、ピアノ編曲されたオペラ作品も半数となる5曲選ぶこととしました。
会場を訪れた皆様に、私たちが思い描いたイメージを感じとっていただけましたら幸いです。
クラシック・コンシェルジェとは?
クラシック・コンシェルジェこと宮嶋極氏による、コンサートやオペラの公演情報。スポーツニッポン新聞社文化社会部長でありながら、音楽ジャーナリストとしての顔も持つ同氏が、週に1回、関連する音楽・写真とともに、お勧め公演の観どころ聴きどころをビギナーにも分かりやすく解説。さらに、ちょっとお得な公演会場周辺のミニ情報もご紹介します。
月に1回、TBS・OTTAVAの小谷和美氏が公演のリポートを担当。
スポーツニッポン(新聞)、スポニチアネックス(WEB)、OTTAVA by TBS(インターネットラジオ)の3媒体連動企画。
スポーツニッポン、スポニチアネックスでは毎週日曜日掲載。OTTAVA by TBSでは毎週月曜日 夜23:00〜23:30(OTTAVA conbrio内)に放送しています。
OTTAVA by TBSとは?
TBSがお届けするクラシック音楽専門チャンネル。インターネットもしくはデジタル・ラジオ放送でお聴きになれます。楽章にとらわれずに聴きどころをテンポ良くかけていくという斬新なスタイルで、クラシック・ファンはもちろんクラシック・ビギナーにも人気。
聴き方は簡単!ottava.jpにアクセスするだけ。
内藤廣(ないとうひろし)氏 プロフィール:
1950年、神奈川県横浜生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。同大学院にて吉阪隆正に師事し、76年から78年にかけてマドリッドのフェルナンド・イゲーラス建築設計事務所に勤務。帰国後は菊竹清訓建築設計事務所に勤務し、81年に独立、内藤廣建築設計事務所を立ち上げる。代表作に、ギャラリーTOM(渋谷区、1984年)、海の博物館(鳥羽市、1992年)、牧野富太郎記念館(高知市、2000年)、島根県芸術文化センター「グラントワ」(石見市、2005年)、とらや東京ミッドタウン店(港区、2007年)など。建築設計からまちづくりまで様々な領域で幅広く活動。