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メインタイトル:邸宅美術館のアートな空間

第4回 アサヒビール大山崎山荘美術館

写真1:アサヒビール大山崎山荘美術館外観(初夏)

写真1:アサヒビール大山崎山荘美術館外観(初夏)

 明治から昭和を生き抜いた関西きっての大実業家である加賀正太郎をご存知でしょうか。彼は、加賀証券社長や大日本果汁(後のニッカウヰスキー)の創設に参加し、また若き日には欧州遊学をし、ヨーロッパのモダンな生活様式を日本で実践した人物です。そんな彼の“理想”を具現化したかのような建物が京都府乙訓郡大山崎町にあります。今回の「アートな空間」では、アサヒビール大山崎山荘美術館へお邪魔し、プライベートスペースからパブリックスペースへの転用と、広大な庭園の活用について、学芸員の芦刈歩さんに伺いました。


「ここをデザイン・設計したのは、加賀正太郎という証券会社のオーナーです。」

芦刈さん
「この建物の面白いところは、いわゆるプロフェッショナルな建築家やデザイナーが手掛けた建物ではないところです。ここをデザインしたのは、加賀正太郎という証券会社のオーナーです。」

写真2:本館展示室

写真2:本館展示室
室内と調和するように、木製の展示ケースを使用。

 もともとは、証券会社社長などを歴任した実業家、加賀正太郎の別荘であったというアサヒビール大山崎山荘美術館。敷地内に一歩足を踏み入れると、外観から内観まで、その絢爛さに圧倒されてしまいます。しかし、驚くのはそれだけではありません。なんとこの建物、施主であった加賀正太郎自身のデザインなのです。江戸時代から続く繊維業や米穀仲買業、両替商を生業としていた家に生まれた加賀正太郎は、22歳の時に欧州遊学を行い、ヨーロッパのモダンな生活様式を吸収してきました。例えば、4,000メートルを超す山として有名なスイスのユングフラウを日本人で初めて登頂したり、英国王立の植物園であるキュー・ガーデンで蘭の栽培を見学するなどしています。日本に帰国した正太郎はその時に経験したヨーロッパのモダンな生活様式を日本でも実践し、この山荘の設計からソファーやテーブル、イスに箪笥、また食器類やお弁当の包み紙に至るまで自らデザインを行い、生活の全てをトータルでデザインしようとします。そうした正太郎のこだわりは美術館となった今でも館内で知る事が出来ます。例えば、リビングルームとして使用していた展示室には、網を壁に塗りこんだダイヤ模様の壁、大山崎町の特産品でもある「筍」をデザインに取り入れたレリーフ、そしてよく見ると加賀家の家紋を囲むグリフォン(西洋の伝説上の怪物)の装飾があったりと、グローバルな物を取り入れつつも地元や自身の手がけたデザインも採用するという、正太郎にしかできない遊び心が随所に施されています。まさに、ここは加賀正太郎のこだわりの館なのですね。


「荒廃が激しかった山荘(本館)を、アサヒビールの依頼で安藤忠雄氏が修復し、地中館も付け加えて現在に至っています。」

芦刈さん
「この山荘はもともと取り壊される運命にあったんです。加賀の死後、加賀家の手を離れて色々な人の手を転々とし、バブル期にはここを壊して高級マンションにしてしまおうという意見もありました。当時の新聞を見ると、マンション建設のプランなどが出ていますし、山荘周辺の木々には伐採するものに印がつく位、取り壊す直前まで行っていたそうです。でも京都府や大山崎町の住民などにより、保存が切に望まれていたという事もあり、アサヒビールが京都府、大山崎町の協力のもと山荘を買い取りました。その後、安藤忠雄氏が修復し地中館も付け加えて現在に至っています。」

 加賀正太郎こだわりの館として建てられた大山崎山荘も、加賀家の手を離れた平成に入ってからは荒廃が著しくなり取り壊す話も持ち上がります。その後、京都府や大山崎町の協力なども得て、加賀正太郎ともニッカウヰスキーを通じた縁があったアサヒビールが京都府、大山崎町と協力して買い取り、1996年には「アサヒビール大山崎山荘美術館」として生まれ変わりました。美術館としてオープンするにあたり、1991年から1995年までの本館修復作業と共に、「光の教会」や近年では「表参道ヒルズ」の設計で名高い安藤忠雄氏の「地中の宝石箱」と呼ばれる地中館が出来上がりました。


写真3:地中館入口の階段

写真3:地中館入口の階段

 安藤氏により修復を経たのちの本館は、加賀正太郎がデザインしたソファー等をそのまま活かし、当時の雰囲気を残しながら現代アートから工芸・絵画まで幅広く展示をしています。作品を飾る展示ケースには、多くの美術館で見るようなスチール製のものではなく、展示室内の雰囲気により調和しあう様な、温かみのある木製の物が使われています。

 重厚な空間を楽しめる本館から、コンクリート打放しの地中館へは、長く深い階段を降りて行きます。無機質とも思えるコンクリートの階段は、両壁面からこぼれおちるように自然の光を取り入れ、また空間全体に様々な音が反響し合い、まるで今までの空間とは異なる世界へ誘われるようです。重厚感がある本館に対して、地中館は、一般的な美術館で多くみられる白く四角いホワイトキューブではなく、コンクリート打放しで円形の展示室です。円形の展示室の中では、アサヒビール社所蔵の絵画などの展示を見る事が出来ます。季節によっては庭園に咲く睡蓮の花々を見たのちに、印象派の巨匠クロード・モネの≪睡蓮≫を見る事も出来たりと、自然の演出の中、名画を楽しむ事ができるのも嬉しいですね。


写真4:本館に新設されたエレベーター

写真4:本館に新設されたエレベーター
左端の少し飛び出た部分が、エレベーター。素材や風合いも、本館に近くなるように作られている。

 また最近では、文化財を転用した邸宅美術館では珍しくエレベーターも新設(安藤忠雄建築研究所)するなどし、パブリックスペースとしてより多くの人々に使いやすいように配慮がなされています。加賀正太郎が作り上げたこだわりのプライベートスペースから、多くの方が芸術を楽しめる美術館というパブリックスペースへと、見事に変身させたのですね。

 マルチな才能を発揮した加賀正太郎は、なんと庭園の設計も行っていますが、アサヒビール大山崎山荘美術館では庭園を活用してどういった取り組みがなされているのでしょうか。


「年に2回、庭園や非公開のお茶室で中国茶会を行っています。」

柳沢さん
「年に2回、あまり固くならずに自由にお茶を楽しむことができる中国茶会を行っています。中国茶会当日は、お庭でアコーディオンなどを弾いたりと、毎日違った趣向が凝らされてとても華やいだ雰囲気になります。」

写真5:「大山崎茶会」の様子
写真6:「大山崎茶会」の様子

写真5・6:「大山崎茶会」の様子

 広大な敷地の中で四季折々の植物を楽しむことができる、アサヒビール大山崎山荘美術館の庭園。庭園を活用したイベントとして、年に2回「中国茶会」を実施しています。このイベントでは、参加者自ら、お猪口サイズの茶杯を持参し、庭園内にある茶室をぐるぐる回り数種類の中国茶を楽しみます。恒例のお茶会ということもありリピーターも多く、最近では1日に300人もの参加者を数える規模だとか。このお茶会で使用する中国茶は、「中國茶會・無茶空茶」の主催者である黄安希(Huang Aki)さんが、毎回茶会の前に本場中国から買い付けてくるそうです。中国茶のプロフェッショナルである黄さんがプロの目で厳選した質の高い中国茶を楽しむことができるのも、このイベントの人気の秘訣ではないでしょうか。
 またこの茶会ではもう一つのイベントとして、アコーディオンなどの演奏も行われ、展示・演奏・お茶を目・耳・舌という、五感をフルに使ってアサヒビール大山崎山荘美術館を堪能する事が出来ます。


写真7:左から、アサヒビール大山崎山荘美術館学芸員の芦刈歩さん、当館職員の高橋

写真7:左から、アサヒビール大山崎山荘美術館学芸員の芦刈歩さん、当館職員の高橋

 加賀正太郎こだわりの館を見事にパブリックスペースに変身させたアサヒビール大山崎山荘美術館。ここは、建物、展示されている美術作品、そして庭園の自然と幅広く楽しむ事が出来る美術館でした。芦刈さんありがとうございました。
(2012年3月22日 浜崎・高橋取材)


  • アサヒビール大山崎山荘美術館
  • 住所:京都府乙訓郡大山崎町銭原5-3
  • TEL:075-957-3123(総合案内)
  • URL:www.asahibeer-oyamazaki.com
  • 「美の再発見 アサヒビール大山崎山荘美術館の名品より」展
  • 前期:2012年6月6日(水)~7月25日(水)まで
  • 後期:2012年8月1日(水)~10月14日(日)まで


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